フォト
2014年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 好きな時間 | トップページ | ちょっとお休みモード »

またサロン?

 昨日から神奈川フィルの定期演奏会の練習が始まっています。指揮は先週に続きシュナイト氏。 ブルックナーのテ・デウムなど渋いプログラムです。 シュナイト氏、ちょっと疲れ気味かな?ちょっといらつく場面もありました。

 今日は午前中に足立区の十三中学校というところでピアノのチェとヴァイオリンの青木くん(東フィルコンマス)とトリオで音楽教室。 元気で眼がきらきらしてる子が何人もいて嬉しかったです。特に男の子が元気で、いいよなぁ。こういう活動って大切だし、結構楽しい。

 足立区から、高速で保土ヶ谷のアートホールへ。ちょっと心配したけれどがらがらで助かった。 でも3月にこんなに道が空いているなんてやっぱり不景気だなぁ、なんて思いました。

 練習が終わって、帰る途中でソロコンマスのI氏からメールが。。。。ちょっと予感したんだけれど読んでみるとやっぱり! 

 『急に定期の前のロビーコンサートをやることになりました。お手伝いお願いできませんか?』  昨年もあったよな、この場面。 あの時はもうすこし前だったけれどね。よく考えたら明後日かぁ。ちょっと慌しいぞぉ・

« 好きな時間 | トップページ | ちょっとお休みモード »

オーケストラ」カテゴリの記事

コメント

プレ・コンサート、もちろん冗談ですが前回のバッハの4番の残りを全部弾いて頂いて、という話はしました。本当にこき使ってしまい申し訳ないです。
我々、音楽を演奏する事は自分のためでもあるに決まってますが、社会に対して恩返しをする事は絶対的に必要ですよね。子供は先入観がありませんから、楽しい楽しく無い、良い悪い、どちらかですから子供が1番正直ですね。だから楽しいんですよね。

 ちぇろやすさん

弾くのはもちろん喜んで! もうすこし早めならいろいろプログラムも考えられるのに。。という気持ちはあるけれどね。

昨日の子どもは結構ガタイのいい悪めのやつ。ちょっと前はそういう子たちは『クラシック?かっこわりぃよ』 っていう雰囲気で最初から聴こうとしなかったけれど、昨日の子たちは素直に聴いて、自分で感じていたのでいいなぁと思いました。

控え室をのぞいて
「うっーすっ! よかったっすっ!」 だって。 

前回の「好きな時間」の「本はやっぱり手にとらなきゃ」にとりわけ感慨をおぼえました。(なんかワンテンポ遅れてのコメントですみません)
というのもたぶんに、当方、出版社勤務ン十年余ののちに一応「フリーランスライター・エディター、出版プランニング&プロデュース」を、今や確定申告の「職業欄」に書いている身だからでしょう(今朝行ってきたばかり)。
 先般書かれていらっしゃった「◎◎で儲かる」クチの本をばんばん出している版元は、決して反省などはしていないと思います。
 本当に残念なことに、今や書籍、本は、すべてとはいえないまでも、かなり多くの出版社にとっては「商品」なのです。もちろん売り物にしている限りは商品であることには間違いありませんが、本というものは「文化物」でその文化をあくまで「商品化」するために本という媒体にしていたハズなのです。その意味で印税=著作権使用料、著作権=知的財産権、なわけなのですが、ある一専門分野で突出しているひとにぎりの版元はともかく、中小の出版社で「文化」的で良心的な書籍だけにこだわり続けた結果、倒産という事態に見舞われてしまった例も枚挙にいとまがありません。(もっとも客観的にみればそこはやはり、とくに編集者あがりのワンマン社長だったりすると、経営センス的なところでなるべくしてなった破たんもままあるのですが)
三宅様のような読者ばかりだと、本を書く側、つくる側も甲斐があるというものですが・・・。
大手書店の店員さんも、「本の広告を手にしてカウンターに『この本ください』と店員に探させて、そのお目当ての本だけを買って帰る、という「お客さん」のほうが多くなってねえ、最近は」と、ややぼやき気味におっしゃっていました。

「言語学」といえば、音楽と言語は切り離せないものですから、そういうところに興味をもたれるというのも、必然、なのでしょうか。
もちろん言語だけでなく、風土、自然環境、民族性あらゆるものが、作曲家の創造性のエレメンツにはなっているのですが、中でもどの言葉をネイティブの言語にしているかが、その曲の「筆致」のようなところに大きくかかわっているように思います。
 例えばウインナーワルツのあの独特の節をウィーンフィル風に真似ても、どこか不自然さを感じてしまうのは、やはりあの節が、ウィーン訛りのドイツ語で書かれたものだからかもしれません。ウィーンに生まれ育ったかあるいはそれに近い言語環境にいて、あのナマリが心身に染み付いていなければあの節は出てこないものなんでしょうね。
 スラブ系の作曲家の曲にも、非常に言語背景を感じさせることが多いのですが、もとより自らの出身地のモラヴィア地方の語法を音楽に取り入れていたヤナーチェクは当然として、ややエキセントリックな(という言い方をしてよければ)マルティヌーにしても、またバルトークの独特のアーキュレーションなどは、まさにスラブ系の言語ならではと思われてきます。
 それにラフマニノフが渡米後に作曲したわずかな曲のうち、ピアノコンチェルト4番は、ラフマニノフが無理して「ロシア訛りの英語」でかいていたんじゃないかという節がところどころに聴こえてきたりして(これはもちろんあくまでワタシの勝手な聴き方デス)。
 「音楽に国境はない」も真なりですし、言語感覚、まして「言語学」が音楽性に直結するわけではないでしょう。ただ、そういう見識があるか否か、知っていると知っていないとでは、「一寸の違い」も生まれてきそうですし、これは結構大きな一寸かもしれません。そういうところに自然と「手が伸びる」ところが、三宅様の密かにスゴイところなのでは・・・と思いました次第です。
コメントが長くなって申し訳ありませんでした。
・・また、もし三宅様がご自分の御著書を出してみたい!などと思われるようなことがありましたら、当方一応その世界のニンゲンなものですから、ぜひお声かけください、というような当方の営業的発言をここでしてはいけなかったですね。
重ね重ね非礼をお許しくださいませ。。

 hmさん

興味深く読ませていただきました。ピアノのチェがI波書店とK書房というところから本を出させていているので、横で眺めていて出版というのはつくづく大変世界だなぁと思っていました。
 
僕も急いでいると、『この本ください』の場合があるので思わず反省です。 でもだいたいはゆっくりといろんな書棚を眺めてちょっと手に取りながら数冊を選びます。

それにしても最近は本屋さん自体が、どうしても売れる本を置くので問題ですよね。本屋さんを見るとそこの街の文化のレベルが分かる気がします。最近街の本屋さんの質に感心したのは、国立です。新刊の本屋も古本屋さんも、うーん思わずうなる品揃え。。

僕が出版するという事態はないと思いますが、万が一のときはよろしくお願いいたします。


コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/110518/28573906

この記事へのトラックバック一覧です: またサロン?:

« 好きな時間 | トップページ | ちょっとお休みモード »