3日は憲法記念日です。これは小学生でも知ってますね。ところが僕にとっては違った意味で忘れられない日なんです。以前HP時代に書いたと思いますが今一度新たな気持ちで書こうと思います。
話は25年以上前にさかのぼります。 えっ?この読者の中には生まれていない人も??やれやれミヤケも年とったもんだわい・・・そうじゃなくて!
とにかく可愛い高校生だったんですよ、チェリストミヤケ。小学生の頃からお世話になっていた先生とちょっと関係が悪くなり、チェロをやめてしまいました。 ここらへんの事情はあまり詳しく書くのはルール違反の気がしますし、ほとんど僕が生意気な悪ガキだったせいで起きたんです。
レッスンにいくのをやめてしまったのですが細々とチェロは家で弾いていました。そんなある日、そんな僕を見かねたOさんというアマチュアのチェロ弾きの女性が僕を当時ドイツから戻られてN響の首席チェロ奏者になられたばかりの木越洋さんのところに連れて行ってくれたのです。
先生のご自宅でずっと待っていたのですが、ちょうどN響の労組の交渉かなにかで木越さんは約束の時間よりずいぶん遅くなられてヘトヘトになって帰ってこられました。 初対面でなんだか大きいからだで、あまり機嫌もいいようには見受けられず、ウブな高校生の僕は緊張して凍り付いていました。
『なんか弾いてみなよ』と言われ、たしかラロの協奏曲の第1楽章を無我夢中で弾いたと思います。 なんとか弾き終えると
『チェロをやるなら桐朋においでよ、習いたい先生がいたら誰でも紹介してあげるよ』 と言われました。
そんなこと言われたって、それまで僕は芸大系の先生についており、音楽大学にすすむとしても進学先は東京芸大以外考えたこともありませんでした。 すごく魅力的なお話でしたが、経済的にも国立の芸大にくらべて私立の桐朋はとても学費が高いに決まっていますし、受験までの間のレッスン料も高いに違いない・・と思うと、ありがたい話なのに、親に桐朋のことを相談することを考えただけで気持ちが暗く重くなっていました。
やけになって、出された出前のお寿司を大量に詰め込んだのをよく覚えています、 (もうこのお宅には来ないんだろうな)と思いながら。
帰宅して両親に相談しましたがすぐに答えも見つからず1週間ほど経ったときに、なんと木越さんから直接我が家に電話が来ました。
『僕が教えてあげるよ、レッスン料も普通の半額でいいから』
それを聞いたときの気持ちは一生忘れることがないと思います。あの時の木越先生の一言がなかったら、僕はたぶんチェリストにはなっていないと思います。
初めて先生のお宅に伺ってラロを弾いて、お寿司をやけ食いしたのが5月3日の憲法記念日のことでした。 皆さんご存知のように忘れ物だらけ、イイカゲン人間のミヤケですが、この大事な日のことを忘れたことはありません。毎年ゴールデンウィークは初心に帰って、今このチェロを弾いている幸せと責任を噛みしめます。
それでそのあと、スーッとスムーズに事が進んだ・・はずもなく、レッスンは奏法を初歩から叩き直され、毎回3時間ほど厳しく仕込まれました。なんとか学校に入った後も学校のレッスン室で毎回大声で怒られていたので、ヴァイオリンやピアノの友人たちが面白がってレッスンをそっと外からのぞいていたくらいです。
そんな尊敬する怖い先生でしたが、今ではご近所ということもあり遊びにいける関係になりました。僕がせっかく群響の首席になったのにとっとと退団してしまった(若気の至りです)のを見て『あいつは極楽トンボだから』とかおっしゃっているらしいですが、あの先生にはなにを言われてもしょうがないです。
今月も自分の弾くドボルザークの協奏曲のリハーサルにいけないので替わりに行ってきてくれとか、けっこう無茶なこと頼まれましたが、ほかの人ならともかく木越先生に言われたことなので喜んでさらっています。
僕も生徒にキビシイ、といわれ、おなかこわしたとか、ハゲタとか、死にたくなったとか、胃が。。とかいろいろ言われますが、僕としてはあの若いときに受けた恩を次の世代に返しているつもりなんですよ。。。
ちなみに現在の木越先生のレッスンは、すっかり円くなられて、あんまり怒ったりもしないし、時間もきっちり1時間で終わるらしいですよ。ミヤケは相当手のかかる生徒だったんだろうな。
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