移動はほぼクルマの僕ですが、たいていなにか聴きながらドライブしています。最近はこの前録ったCD のデモをよくかけながら走っています。
昨日は秋のコンサートの打ち合わせで、真鶴まで運転しましたが、聴くのに集中していたら気がついたらもう到着していました。 アブナイんでないかい? 今回のアルバム、このブログでも曲のリクエストをお願いしたので、一応曲目の発表を・・・しようかと思ったけれど、僕の一存でそんなことをするとオコラレル可能性があるので、みなさまもう少しお待ちください・
運転中に聴くものの話にもどっていいですかぁ? というか勝手に戻りますが、前にも書いたように僕はラジオファンです。 先日もFMをかけながら荻窪あたりを走っていたら、詩人の谷川俊太郎さんがゲストででていらして、ご自分の詩を読んでいたのです。
(ああなかなかいいなぁ)と思って聞いていましたが、読み終わった後に谷川さんがとってもいいことを言っていました。
『(他人が谷川さんの詩を読む場合)間違って読んだっていいんですよ。 そのときの気持ちで読んでもらえばいいんです。』
これってなんだか普通のことでしょ? でも僕はすごくピンときてとっても嬉しかった。 つまり、谷川さんってもちろん朗読することもありますが、基本的には作品を提供する側でしょう? その人が読み手側の感性に作品をゆだねるって言ってくれたんです。
僕たちクラシックの演奏家って、作曲家の意図をできるだけ正確に読み取って、演奏するっていう大前提があって、それはそれでまったく大賛成! ハンタイしませんが・・ でも、『ベートーヴェンさまはこうじゃなきゃいかん』とか『バッハは、ガット弦で弾かなきゃ』とか決めごとばっかりだと、もう窮屈で、なんだかゲッソリしてしまうのが僕の正直な感覚なのです。
おのおのの作品に自分で誠実に接していって、そこから自分で表現したいって思えた演奏スタイルがもしかして、一般的なベートーヴェンスタイルじゃなくったってもしかしたら、いいんじゃないか?
グレン・グールドのバッハの演奏スタイルなんて、バッハ自身の想像していたのとはきっとかなり違うと思うけれど、すばらしいものであることは間違いないですよ。 ある意味、演奏家が曲に新しい命を与えたともいえます。
それも作品を作る側が演奏する側に、谷川さんみたいにゆだねてくれると初めて起きうる奇跡なんです。
谷川さんの一言でなんだかとっても楽になったし、やる気が沸いてしまった。どこにどんなヒントが落ちてるかわからんねぇ。
今日は夏を思わせる天気で元気モリモリ、ポジティブなチェリストです。
写真は渋谷の交差点。なんだか雑然としている都会ですが、なんだか青空が嬉しくて信号待ちしなから撮りました。 今日はジーンズを洗って干したんだがよーく乾いてとってもいい気分・ 枕カバーも洗えばよかったよ・
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